瀬戸内遠征二日目
6:48 広島陸軍被服支廠
この建物は,1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え,その姿を今日に残しています.被爆直後は臨時救護所となり,避難してきた多くの被爆者が次々と力尽きていきました.爆心地の方向に面していた西側の鉄扉のいくつかは,被爆時の爆風で変形した痕跡をとどめています.(広島市の説明板より)
別にこれを見に来たわけではなく,たまたま道中にあって存在をその時知った建物.ちょうどこの建物群の一部を解体するか否かってニュースが2019年末に流れてましたが,結局どうなるんでしょうか.
被爆の旧陸軍被服支廠2棟解体へ 広島県方針、市民団体は反発(毎日新聞2019年12月4日 18時28分)
広島市南区に4棟が残る最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」について、広島県は4日の県議会総務委員会で、所有する3棟のうち2棟を解体する方針を示した。老朽化が進み、地震で倒壊する可能性があるためで、1棟は改修して保存する。全棟保存を求める市民団体からは反対の声が上がっている。
1913年に完成し、軍服や軍靴を製造。現存する4棟は鉄筋コンクリート造り・レンガ張りで、1棟の長辺は94メートル、高さ17メートル。爆心地の南東2・7キロにあり、原爆投下直後は臨時救護所として利用された。4棟のうち1棟は国が所有する。
県によると、2017年の調査で、震度6以上の地震で倒壊の恐れがあると判明。3棟の耐震化に84億円を要するため、爆心地に最も近い1号棟の壁面を21年度までに補強し、2、3号棟は22年度までに解体する方針だ。総事業費を8億円と見込み、一部を来年度当初予算案に盛り込む。
被服支廠は、爆心地から5キロ圏内に現存する原爆ドームなどと並んで広島市が「被爆建物」と認定した86件の一つ。4号棟を所有する財務省中国財務局も「解体を含めて検討中」としている。
15歳の時に被服支廠で被爆した市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」代表の中西巌さん(89)は「悲劇を後世に伝える歴史的な価値を考えれば、解体は到底受け入れられない。絶対に反対だ」と反発を強めている。【池田一生】
7:27 広島駅
足元をチュンチュンしてたスズメの幼鳥だと思われる子を眺めながら朝食.
山陽本線で三原→岡山.岡山からは宇野線と言う初めて乗る路線で児島半島の先へ.
11:46 宇野
ここからは船に乗って島へ行きます.まだ時間があるのでスーパーで食料調達して昼飯に.
13時前に出港の便に乗り直島へ.
13:10 直島(宮浦港)
18きっぷを最大限利用するために,高松行の便には乗らず,宇野経由で電車で高松へ.
17:08 高松
香川に来たらやっぱりうどんを食べておきたい!ということで,超特急で駅前にあるうどん屋へ.なぜ急いでいるかと言うと,このあと宿泊地の最寄り駅に行くための電車が17時半に出てしまうから.マジで時間ない.
めっちゃ急いだので無事電車に乗車.
その後はスーパーで雨宿り兼買い物兼休憩をしたり,香川県民のトイレの使い方に大いなる疑問を抱いたりして,日帰り温泉に入って終了.
つづく