室内実験実習講座 ―両国散歩編―

今日は、東京・両国駅近くにある安田学園中学高等学校で、東京生物クラブ連盟主催の「室内実験実習講座」が行われました。
この講座は毎年行われているもので、生物の実験や観察をしています。これまで、PCR法についてやったり、イカの解剖をやったりと、様々なことが行われてきましたが、今年は -基礎実験の方法と実際- というテーマのもと、アフリカツメガエルの卵割の観察や成体の解剖を行いました


ということで、集合時間より早く来たので、まずは本編の前に両国をぶらぶらした内容から。



小学校の時に江戸東京博物館に訪れたことがあり、なんとなく両国駅前や博物館周辺の記憶がよみがえって来ました。
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横網 
「よこづな」 じゃなくて「よこあみ」。言われてみれば字が違う。

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昔、八百長問題とかで話題だった頃、よくこの門の辺りの映像がNHKとかで流れていたのを思い出しました。

ということで、駅から江戸東京博物館のほうへ行き、細道を通って国技館の周りをまわって駅にもどり、
その後は駅のすぐ近くにある我が部行きつけの喫茶店の位置を確認し、集合場所へ。
時間的にはちょうどよかったかなという感じ。

そして9時。
大体の人がそろったところで出発。といっても、会場の学校とは正反対のほうへ。
顧問もぶらぶらするのがお好きなわけです。
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・回向院について(説明板より)
明暦三年(一六五七年)江戸大火(振袖火事)に依る死者十万八千余人を弔うために建立された。
安政地震(一八五五年)の死者二万五千人余を初めとして、江戸府内の無縁佛、天災地変に因る死者も埋葬され、近くは大正十二年の関東大震災の死者十万余人の分骨も納骨堂に安置されている。

回向院を見学し、旧安田庭園へ。
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園内の池、そして背後に建つスカイツリー

旧安田庭園の沿革墨田区設置の説明板より)
この地は元禄4年(1701)、後の常陸笠間藩5万石の藩主、本庄因幡守宗資(ほんじょういなばのかみむねすけ)が下屋敷として拝領し、この庭園は宗資が築造したと伝えられている。中央に「心」の字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ、いわゆる潮入り池泉廻遊式庭園である。

明治になって旧備前藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)安田財閥創始者初代安田善次郎の所有となった。安田翁の逝去後、家屋及び庭園は大正11年(1922)、東京市に寄付された。

大正12年(1923)9月1日の関東大震災により、壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事を行い、旧安田邸跡地は寄付者の名を冠して「旧安田庭園」と命名した。昭和2年(1927)に民間篤志家の寄付による和風庭園として初めて一般に公開された。

昭和42年(1967)、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的な改修工事を行い、昭和46年(1971)に名園といわれた往時の姿に復元した。

平成8年(1996)、明治時代の代表的な庭園として、東京都の「名勝」に指定された。その後、施設の老朽化が著しくなったので、貴重な文化財庭園を後世に残すため、墨田区では平成17年(2005)に、「旧安田庭園整備保存管理計画」を策定した。この計画に基づき、貴重な文化財である旧安田庭園を保護し、さらなる活用に努めている。


こんなの書く意味が自分でも分からないし、誰得だよって感じで、書くのはかなり疲れましたが、
書き始めてしまったからしょうがない・・・ということで。
こんなに沿革を書いたわりには、庭園には数分しか居ませんでした。


続いて向かったのは横網町公園
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もうイチョウが綺麗になっていました。場所にもよりますが、もう散ってきてました。

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慰霊堂
中には空襲の写真などがあり、八王子の空襲被害の写真もありました。

慰霊堂に行った後は「横網町公園復興記念館 震災記念屋外ギャラリー」の展示物をみて、この公園をあとに。

時刻は9時40分。この公園の隣にはいつの間にやら安田学園が。
講座が始まるのが10時なので、そのまま学校へ。

ということで、みんなで社会科見学的なことをしたのちに本題へつづきます。



つづく