被災地訪ねて学ぶ修学旅行 地元も賛同「現実見て」

f:id:aiamuhuna:20220311194550j:plain

NPO法人のメンバーの案内で、片付けられた街の跡を抜け、防潮堤に登る修学旅行生たち=10月21日、岩手県宮古市田老

 津波で壊滅的な被害を受けた岩手、宮城両県の沿岸部を県外の小中学生らが訪れている。修学旅行や校外学習の一環だ。被災の現実を見て自分の暮らしを振り返ってほしいという学校側。地元は「被災地の今を伝えたい」と賛同して受け入れている。被災地の子どもたちは逆に「お礼がいいたい」と義援金や衣類を贈ってくれた関係者の元を修学旅行で訪ねた。

 21日、岩手県宮古市田老。「万里の長城」と呼ばれる規模を誇りながらも津波に乗り越えられた高さ10メートルの大防潮堤から、東京都国立市の私立桐朋中学3年の修学旅行生が街の跡を見下ろした。「津波は、この防潮堤まで越えたんですか」。岩崎祥太郎さんは驚いた。前田優さんは「ショック。何もない。ここに家があったなんて」と言葉を失った。

 163人が前日から2班に分かれ、地元の街おこしNPO法人「立ち上がるぞ! 宮古市田老」のメンバー4人の案内で町を回る。海水と破壊された家屋などで街が埋まり、がれきが片付けられた経緯などを説明した。かろうじて校舎が残った田老第一中学校では、佐々木力也校長から震災当日、生徒たちと必死で裏山に逃げた体験を聞いた。

 桐朋中は毎年、東北への修学旅行で田老を訪れてきた。例年通り訪れていいかどうか。そう話し合った教員たちは下見をして、地元が受け入れてくれることを確認した。6月にはカンパを募って220万円を田老地区に届けた。同行した近藤一憲教諭(56)は「慎重に検討するなか、『津波太郎』と言われ、津波に備えてきた田老でこそ被災の現実を生徒たちが学ぶ意味があると考えた」と語る。

 案内した一人で、自らは仮設住宅に住む金沢洋子さん(58)は「全国からの支援へのお礼の気持ちを込めて案内した。どこに逃げたんですかと質問もストレート。真剣に受け止めてくれたようです」と話した。

f:id:aiamuhuna:20220311194633j:plain

津波の直撃を受け、復旧中の漁港施設の前で説明を聞く東京からの修学旅行生たち=10月21日、岩手県宮古市田老

 宮城県南三陸町には、横浜市の神奈川大付属中の2年生75人が7月末に校外学習で訪れた。学校側が以前から交流があった同町に「被災地の現実を見せたい」と打診し、町の観光協会が応じて実現した。

 壊滅した町の中心部が一望できる高台で、ボランティアの語り部ガイドが「皆さん、これが現実なんです。しっかりと目に焼き付けて帰ってください」と声を上げる。女子生徒の一人は「テレビで見て知ったつもりでいたけれど、実際に来ると全然違う。私には何ができるんだろう」と考え込んだ。

 青森県むつ市の川内小学校6年生35人は7月、手作りした下北特産のべこもちを持って南三陸町の小学校に来た。学校側が保護者に被災地見学の意義を説明し、修学旅行先に選んだ。

 被災者から直接話を聞いた児童たちは、現地で感じたことを夏休みの宿題で作文にまとめた。久慈稔教頭は「作文には命、絆、思いやりといった言葉がたくさん出てくる。被災地を見て今の暮らしがとても幸せだと見直している」という。

 一方、震災直後に避難所となった南三陸町志津川中学校は10月上旬、3年生89人が東京への修学旅行の際に、被災直後にお世話になった人たちを回った。

 約100人の職員が避難所の運営や支援物資の運搬をした東京都庁や、ちゃんこ鍋の炊き出しをしてくれた大相撲の芝田山部屋、義援金や衣類を届けてくれたチリ大使館などを訪問。メッセージカードなどを手渡して感謝を伝えた。

 菅原貞芳校長は「少しでも恩返しをしたいというのが被災地の願い。生徒には素晴らしい経験になった」と話す。(伊藤智章、三浦英之)

f:id:aiamuhuna:20220311194704j:plain

壊滅した町並みを一望できる高台で、被災者から津波の状況を聞く神奈川大学付属中・高等学校の生徒たち=7月、宮城県南三陸町

 

2011年10月23日9時1分 朝日新聞

www.asahi.com