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なんか行こうとしていた水域が物理的に存在抹消されていたので,次の場所へ.
前々から行ってみたかった遠野市へ.少し観光などしました.
続石
駐車場から少し山を登って行くと,突如木々の中に巨石が.
これはなかなかに神秘的な光景でした.こりゃあすごい.あまり期待せずになんとなく登ってみたけど,これは来てよかった.
よく見ると二つの石で支えてるんじゃなくて,1つの石にしか載ってない.どうやったらこんなふうになるんだ.
小高い杉林のなかに,古代巨石文化がのこしたものといわれている大きな石があります.二つならんだ石の一方の上に,幅7メートル,奥行5メートル,厚さ2メートルほどの巨石が笠石としてのっています.
弁慶がそばの石に笠石をのせたら,位の高い石なのに大石の下になるとは残念と嘆いたので,いまの石の上におきかえたという話を,『遠野物語拾遺』第11話が伝えています.(現地の説明より)
道の駅 遠野風の丘
岩手大学の研究室が遠野の萌えキャラを作ってるらしい.
道の駅でコロナの影響で半額になっていたかっぱのお菓子や遠野銘菓明がらす,遠野のリンゴジュースなどを購入.
卯子酉様
遠野一帯が大きな湖であったその昔,鮭の背にのって宮家と倉堀両家の先祖が猿ヶ石川をさかのぼってここにたどりついたという話があります.境内の小さな池は淵のあとでここの片葉の葦に恋の願いを書いた紙を結びつけておくと願いがかなうと伝えられています.
『遠野物語拾遺』第35話にも不思議に男女の縁が結ばれたと書かれています.(現地の説明より)
五百羅漢
これもなかなかすごい景色だった
いまよりも平均気温が3度も低かった江戸時代,高冷地の遠野はしばしば凶作に見舞われ,宝暦5・6年(1755・6)天明2年(1782)などの大飢饉には多くの犠牲者を出しました.
心を痛めた大慈寺の義山和尚は,その供養のため明和2年から数年をかけてこの五百羅漢像を彫りあげました.(現地の説明より)
市民に親しまれている程洞のお稲荷さんは,明和2年(1765)に当時の領主阿曽沼氏の一族の宮道義が勧請したと伝えられるもので,祭日は6月9日です.境内に,子宝や腰痛などにご利益があるといまなお信仰されている,巨大なコンセイサマがまつられています.(現地の説明より)
鍋倉城跡
JR遠野駅
駅の近くで遠野ビールをお土産に購入.
カッパ淵
遠野と言ったらやっぱカッパですよね
たかむろ水光園
遠野ドライビングスクール
12:44 ケンゴロー川
ここで当地方初記録の外来魚を採捕してしまう.詳しくは報文参照.
ついに三陸海岸までやってまいりました.三陸の沿岸に来たのは中学の修学旅行で震災の年に宮古市田老地区を訪れて以来ですかね.最近宮城の松島に行きましたが,あそこは三陸海岸に入るんでしょうか.入るならそれ以来ですね.
お魚いちばで昼飯
おさかなおいしかった.ご飯もおかわりできたし満腹.
その後は少し気仙沼をぶらぶら.この当時も復興の真っ只中なんだなあという風景が広がっていました.
三陸海岸はまだまだ行ったことないところばかりなので,また機会が有ったらのんびり訪れてみたいなあって思います.もうそろそろ震災から10年ということで,本当に早いものです.
18:10 川
この川,ひたすらギバチが入るというこれまでに東京近郊では経験したことのないレベルでのギバチの楽園.こんなところあるんですなあ.すごい.
そして念願のアカヒレタビラ.みられてよかった.
ほかにはアブラハヤやヒガシシマドジョウなどもいました.かつて見慣れていた魚ばかりとはいえ,このような東日本を感じる魚種がみられて素晴らしい川でした.今までこれでもかってくらいに外来種の洗礼を受けてきていたので,ようやく本来の姿をとどめた環境に来られたなあという感じ.
21:04 ジョイス北上鬼柳店
晩飯調達
22:11 快活CLUB 北上店
飯を食ったりして時間調整したのち,快活へ.
つづく
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